2008年10月アーカイブ

地震とマンション

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10月18日、四条高倉スカイハイツのスカイホールで「京都も地震は来るのか」というテーマで講演会。講師は岡山理科大学総合情報学部教授瀬川輝夫様。

阪神大震災でぐしゃっとつぶれたのは古い木造住宅で、マンションは比較的安全な建物。

1964年の新潟地震で鉄筋コンクリートの建物が倒壊したため、1971年に建築基準法を大改正し、新耐震が導入されたが、それ以前の旧耐震とおおきな違いはない。

ただ、1996年に耐震改修促進法ができて、旧耐震の建物の改が話題になった。

マンションの耐震強化策には1戸@400万とか500万の費用がかかるので、長期修繕工事の実施で手一杯、とてもその余裕はない。

耐震ドアへの取換え、ピロティの補強など少ない費用で効果の高い工事をすすめる。

など、わかりやすい講演でした。そのあと、質問がありました。

「マンションは何年持ちますか」

50年くらいでしょうか。

私は「築40年のマンションが流通していますから、まず60年以上はもつのでは」と発言しました。

「地震で死ぬのが怖い、費用がかかっても耐震補強をしたい」とある高齢の管理組合役員さん。

このマンションは建物の両側を鉄骨で支えるという。

私は「両側から鉄骨で支えているのを見たら、だれが買いますか、むしろ不安を感じて売れなくなってしまいます」と説明しました。値段が下がりだすといわゆる「フィリタリングダウン」が起こり、経済的弱者や高齢者が取り残されてしまい、管理さえできないようななってしまいます。このように、建築と不動産とは見方が違います。各分野の意見を聞いてから、このような大工事はしてほしいと思いました。

 

 

昨年は10.21の日曜日に、かって同じ10.21に行われた国際反戦デーを集会といえば、円山野音で開催し1200人を集めておおきな成功をおさめました。

今年は10.19。およそ850人でした。1年かかって準備しました。やはり、団塊の世代が目立ちます。集会の最後はインターナショナルの合唱、去年より少しは上手に歌えたのでないかと思いました。

豊田勇造の「花の街ぺシャワール」は二度目。心に染み込むような歌を聞いて、思わず目頭を熱くしました。

彼が順次バンドメンバーを紹介し、ハーモニカ奏者を「彼は夜の中川会館にいました」と。驚きました。中川会館とは立命館大学全学共闘会議(全共闘)が占拠していた大学本部なのです。楽屋を訪ねて「法学部闘争委員長の天野です」と名乗ると、「天野さん、もちろん知っています」ハーモニカ奏者は学芸サークルに所属しバリケードに入っていたということでした。豊田勇造の時間j軸は全くぶれず、すごいと思いました。私もぶれないつもりですが。

彼は来年、還暦を記念して6月6日円山野音で6時間のコンサートをすると発表しました。無料なのだそうです。見事な心意気だと関心しました。楽しみです。

 

 

10月17日の朝日新聞夕刊、新景観政策施行1年の企画記事。京都支局の若い女性記者、溝呂木さんが8月末頃から繰り返し訪ねてきて、記事作成に協力しました。また記事の中で不動産業者としてのコメントも行いました。この政策の評価を出すのはまだ早いでしょうが、マイナスはさまざまに指摘できるでしょう。そのひとつが既存不適格マンション問題です。中古マンション市場では早くも、2006年春頃から先安感が生まれて、しだいに下落傾向を辿ってきたのです。私の本来のコメントは「新景観政策表面化の2006年春をピークにこの2年ほどでおよそ3割、下がった」と。しかし、スペースの関係で「この1年で2割下がった」と短くなりました。最近の不動産下落は景気の影響が大きいので、少しニュアンスが違いってきます。都心の中古マンションの価格下落は新景観政策の影響なので、2006年春をピークに、が重要でした。世界的金融危機があり、掲載が遅れたこともあって、記者も苦心したのでしょう。短期間の取材で専門家に負けない知識を身に付けるのはたいへんです。記者はどうしてもイメージ中心、あるいは社会の雰囲気を気にして書いてしまうことになるのですね。仕方がありませんが、活字に強い信頼を置く者は少なくないので、ぜひ頑張ってほしいものです。私は新聞記事の影響の方が大きいと考えています。記者とのおつき合いを大切にしている理由です。

 

10月15日、彌光庵で恒例の旨酒の会。

今回の旨酒は①明鏡止水②濁り酒③くどき上手。

①は長野県佐久平の大沢酒造。まるで上等のお水を呑むようなあっさりとしたお酒。何杯でも呑みつづけられそうです。滝本さん「雑味なし」。

②は鳥取県太谷酒造の濁り酒。濁り酒ながらすっきり。

③は一番のおすすめ。山形県鶴岡市亀の井酒造。辛口で口いっぱいに芳醇な香りが広がり、これはうまい。

旨酒の会一同、来年「酒道」旗揚げへ向け、探求心をおおいに盛り上げようと確認しました。

10月13日、14日、郡上八幡と五箇山を訪ねました。郡上八幡では父親の依頼でニッキの飴を買いました。この町は大谷派のお寺が群立。その中に、鈴木君代さんと天白真央さんのライブのポスターを発見。ふたりとも有名な大谷派僧侶兼音楽家。二人を呼ぶようなお寺は世の中の動きに敏感と推定されます。頑張っているなと思いました。大谷派僧侶といえば、近藤龍麿さんもこの二人とともに音楽家として有名、美濃のお寺の住職です。

この小旅行は彌光庵で毎月開かれているイタリアの会の特別行事で、ホストのイタリア人夫妻、ウーゴさんとエリザベッタさんがもちろん参加していたが、ウーゴさん高速道路で体調を崩し、郡上市白鳥の救急病院へ。そこで、担当医師に大谷大学の研究者と説明したら、「私も門徒です」。「ここには本山出版部、僧侶もいます」と付け加えると、じつに丁寧な対応。看護士も医者もみな門徒だったそうです。

主人公のイタリア人夫妻を救急病院に残して、五箇山へ。国道を走りました。途中は名高い御母衣湖の周囲をめぐって、ダムも見る事ができました。このダムは子供時代におおきなダム建設ということで記憶にあります。また、ダム湖に沈む桜を移植したとても有名な話もあります。

さて、五箇山は彌光庵の常連、武蔵野美術大学出身のかたの好意で大学が保有する合掌造りの建物に宿泊。囲炉裏に火をおこし岩魚をフラクタルナな炎で時間をかけて焼き、ほんとに美味しかった。合掌造りは隙間だらけでしたが、暖かくて気持ちよく眠る事ができました。翌朝、合掌造りの集落を尋ねました。まるでおもちゃのようなかわいらしい集落でした。大晦日、雪に覆われた合掌造りの里を思い起こします。よく残ったものです。

お世話になった合掌造りの家は近所にすむおばあさんが管理人。おばあさんは昭和28年、この家にお嫁にきたと話していました。3家族同居だったそうです。帰り際、去り行く私たちにいつまでも手を振ってくれました。おばあちゃん、いつまでもお元気で。

私が寝た部屋に床の間がありました。その床の間に「南無阿弥陀仏」と書いた紙がはってありました。五箇山は越中、そして飛騨も美濃も真宗の世界でした。

マンションの寿命

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築17年のマンションを案内。同じ階で売り物が出たのでと。

お客様「10年後にどうなりますか、売れなくなりますか、タダみたいになりませんか」と。

築30年を超えるあるマンションの管理組合を訪問した折、役員「マンションはいつまで持ちますか」と。

京都で言うと、築40年前後のマンションが流通しています。現に売買されているのです。買った人は現物をみて、管理の状況も確かめて決断したのでしょう。少なくともあと20年ていどは不安なくすめると考えたのでしょうから。

ですから、築60年ていどはまず大丈夫ではないでしょうか。しかし、管理がますます決め手になりますね。以前に紹介した衣笠グリーンハイツは築40年、ガスなどの配管を新設し、次の20年に備えています。未来に不安をお持ちの管理組合役員さんは衣笠グリーンハイツを訪問されるようおすすめします。

築30年で不安が生じることのないよう、マンションの未来が開けるようさらに力を尽くしたく思います。

大丸に勤めているという30歳前後の独身のかたが来店。ワンルームマンション投資を始めたい、全額ローンで買って、家賃で返済していけないかと。

投資のポイントは次の通り。

①中古マンションがおすすめ。新築は償却が大きいが売却損が出るので、長期保有ならともかく、売  りたいときに売れない。

②償却は建物と設備に分け、設備を10年ほどで償却し、この間にローンを返済する。

③利回りは8%ていどを目標にする。10%以上は売却損が出る可能性がある。

④管理情報を入手してよく検討する。ワンルームマンションは一般的に所有者の関心が低く管理がネック。

⑤マンションに共通して言えるが、都心立地が一番。

10月9日、住友信託銀行京都支店でいずみ会例会。本年は狩野さん<狩野コーポレーション>と私が幹事です。

今回は左京、北など高級住宅地の価格動向について意見交換しました。各社は異口同音に「在庫がかってないほど増えている」と感想を述べました。在庫とは販売中の物件総数です。売れないとこの在庫が増えます。在庫が増えると価格が下がります。下がるときは売り物が減るので時間がたつと在庫が正常化します。これを循環的調整といいます。

在庫が増えたのは主に不動産業者が強気に仕入れてきたからです。先安感が生じいっせいに、在庫整理に動き始めたのです。

下鴨では@150万前後、小山なら@130万前後で推移していますが、各社、さらに下落と見ています。在庫整理が市場の課題。住宅市場も当分、実需中心のマーケットになるでしょう。

10月7日、京都マンション管理評価検討委員会の第二回会合がありました。評価レベルの最低ラインをどう設定するか、議論が交わされました。最低ラインの設定は評価の対象外のマンションが出てくるということです。ハードルは当初、低くして条件を絞り込み、かつ収集しやすい資料による事が肝心です。

最低ラインの設定と同時に、理想のマンション像の提示も重要です。なぜなら、管理レベルの評価に関心をもつマンションは熱心な役員のいるところでしょうから、最低限の話をするだけでは、この試みに注目しないことが予想されます。そうなれば、管理組合からの資料提供もすすまないでしょう。そこで、理想像の話題になりました。出てきた理想像のいくつかを紹介しましょう。

①総会議案がオリジナルである②規約の改正がおこなわれてオリジナル性がある③、多選制限、後継者の養成など、役員選出方法に多様な試みがなされているなどでした。

ところで、今回から参加された阪東一級建築士とも長いおつき合い。彼とは阪神大震災の被災マンション支援活動でチームも組みました。控えめながら、視点がしっかりした専門家です。阪東先生が「流通と管理という着眼はもともと、天野さんが持っていたもの。」という折田先生の発言を紹介していただきました。マンハイム五条管理組合理事長の瀬川さんも今回から。瀬川さんとも、管対協設立頃からの長いお付き合いになりました。

本当にみなさん親しくい関係を続ける事ができてよかったと思いました。こうした人間関係がなければ、この会も成立しなかったでしょう。

タウンミーティング

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10月6日、京都地方裁判所でタウンミーティング訴訟の公判があり、いつものように多数の傍聴者が大法廷をうずめた。この裁判は京都の教育政策をめぐる訴訟で、勤評闘争以来、教育現場の荒廃を憂いてきた両親は入院時を除いて熱心に傍聴してきた。

両親が徳島時代、食堂をしていて徳島大学学芸学部の学生たちの溜まり場となっていた。彼らの多くは教員の道を歩んだが、勤評闘争で組合が壊滅し、全県で組合員が数百人という状況になったが、ユニークな先生たちで頑張っていた。両親の自慢の学生たちであった。当時、砂川闘争の記録映画を見て、小学校3年生だったか、全学連の戦いに強い印象をいだいのを思い出す。砂川闘争に中の学生たちの必死な抵抗と対峙のさなかに歌われた赤とんぼの歌、この映画は私の原体験と言ってよい。最近、政治評論家森田実が砂川闘争の現場指揮者だったことを知る。森田実は警官隊との戦いに疲れきって、赤とんぼを歌うことを思いついたらしい。学生たちが戦いの歌ではなく赤とんぼを歌って、とうとう警官隊も休戦となったということだ。学生たちが店の2階ではてない議論をしているのを聞いて過ごした1950年代が懐かしい。

ところで、この裁判に特別な思い入れを私が持つのには理由がある。それは、タウンミーティングに応募した母親とその娘、そして夫をすべて排除したことにある。家族ぐるみで排除するとは、マッカーシズムではないか。権力者がついしたがる弾圧だろう。以前、立命評論解散事件がおきたとき、共産党が権力をにぎる当局は、立命評論を支持する学生たちをまるごと排除した。彼らは教室を借りることも、ビラも撒けず、アルバイトの紹介も受けられないのであった。表面的な近代化の一方、異なった思想集団を排除しようとする権力的な思考は厳しく批判されなければならない。

この訴訟の中心メンバー、北上田さんがタウンミーティングがもともと、合衆国草創期のたちを伝える直接民主主義の場であったと、資料を提出していたが、おかしな話しではないか。タウンミーティングから批判的な人たちを家族ごと排除するとは。マッカーシズムは「付き合いによる罪」、チャップリンをはじめリベラルな人が「付き合いによる罪」でつぎつぎと追放された。マッカーシズムは危険な世の中への入り口。それは左右に内在する。

判決は12月8日午前10時です。

これまで不適格マンション管理組合懇談会で活動してきましたが、会員拡大をはかるため、京都マンション管理組合懇談会に名称変更して、その1回めの会合を10月4日、ウイングス京都で開催。熱心な方が大勢集まりました。

この会の活動目標を具体化し、他のマンションに呼びかけることにしました。活動目標の一番はもっとも関心の高い既存不適格マンション問題対策でしょう。当会としては、既存不適格マンションの既得権を守ることを明確にして活動したく思います。既得権擁護の第一は現在の建物の再建です。次善の策としては、一回に限り現状での再建を認めることです。この要求が通らないときは、立替え決議を進めるために、規模縮小の補償。補償とは、立替えに参加できない人の住戸を公的に買い取る、または立替えそのものを公的機関が行う。

こうした要求が通るまで、「フィルタリングダウン」を回避するための、管理組合支援策を求めたい。支援策とは管理レベルの高いマンションが市場でもよい評価をえられて、マンションをめぐる良い循環を作り出すことです。

 

謡 田村

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10月3日、名神不動産の新しい事務所で謡のお稽古。11月9日に両替町通丸太町下がるの<嘉祥閣>で発表会がありその猛勉強。私のお師匠さんは吉田先生、彼は観世流の井上流。嘉祥閣はその井上流の本拠地、うっかり通りすぎてしまうほど目だたないものの、建物の奥には立派な能舞台があります。能舞台を使っての発表は緊張します。

当日、私は田村のワキを謡います。坂上田村麿と清水寺が表現されています。謡いの背景には奥深いものがあり、感心します。

歎異抄の会

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9月30日、彌光庵で<歎異抄>の例会。

当日のメンバーは種智院大学沖教授、大学時代の先輩の大村さん、<真宗大谷派出版部>の大須賀さん(通称、ジュゴン)、斎藤さんでした。

だれでも、どんな人でも救えわれる、浄土へいけるというのは、きあめて単純な思想です。単純化すれば、複雑な世界観は必要としないのです。

今西錦司はダーウインの進化論、自然淘汰を否定し、どの種が大地に根づいてもよく、幼いどのいのちが生き残っても種が存続できるように自然は仕組んでいると主張しました。そして、種は争わずにすみ分けるとも。進化について、種は変わるべくして変わると言っています。

今西錦司と歎異抄の親鸞とはつながっていると私は思いました。

衣笠グリーンハイツ

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創業期のお客様が80歳代になっておられて、売価相談をうけ衣笠グリーンハイツを9月30日、訪問しました。お客様も懐かしく、衣笠グリーンハイツも懐かしく感じられました。

30年ほどまえ、区分所有法の第一次改正があり、この分野に関心を持つ人がきわめて少なかったため、このマンションを仲介したお客様を通じて、相談があって、規約改正をお手伝いしました。当時、私は30歳代。

管理組合役員のなかに、立石電気役員の田崎さんがおられて、最近も京都リサーチパークでお会いしました。田崎さんご夫婦はとても明るいお方で、田崎さんのお部屋を開放していただき議論しましたのを思い起こします。今も、現役で活躍しておられます。管理組合の現役員、小畠さんとはマンション総合研究会でご一緒させていただいています。とてもお元気です。住民には、徳富蘆花の娘さん(もちろんご高齢でした)一家や作家の有吉佐和子さん 、元知事の林田さんなど著名人がおられました。徳富蘆花のお孫さんご夫婦は、私が親しくしている版画家の、木田安彦さんもよくご存知でした。

衣笠グリーンハイツのように、築年数が経っているマンションほど、当社のお客様がたくさん住んでおられるのです。

 

福山哲郎後援会

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9月28日、ウエスティン都ホテル京都へ。福山哲郎後援会の行事に参加しました。会場はなんと1200人を超える人でいっぱいです。私のテーブルには、名神不動産佐々木さんご夫婦、滝本さん(タキモト副社長)、藤田さんご夫婦(当社役員)、両親、家内、家内の母、つごう10人が。

福山哲郎夫人の親元が私のお客様(吉弥さん)で、そのことから、参院議員選挙出馬時、ご夫婦そろってあいさつに見えました。それ以来のおつき合いなのです。福山さんは困った事があって相談すると、難しいことであっても気さくに応じていただき、その人柄にほれています。後援会もしだいに大きくなりました。わたしも一生懸命、応援しています。吉弥さんは建築家が本業ですが、また写真家でもあり、すてきな家内の写真をたくさん撮っていただいています。夫人の吉弥信子さんともも長いおつき合いになりました。彼女は環境汚染対策に一家言あります。河川浄化で実績のあるEM法の普及に尽力し、水質復元の活動に熱心です。福山本人も参議院環境委員長に就任するなど、大活躍です。

昨年の統一地方選挙で、彼は南区から大学時代の後輩、<山本恵>を市議会議員に出馬させ無名候補ながら共産党現職を落とし当選させました。このように、福山の人脈は広いのです。僅か2ヶ月ほどの準備期間でみごと当選させて、支援した私も面目を施すことができました。父親が電話作戦でそれは熱意をこめて訴えかけていました。

ところで、家内は完全菜食主義、当日料理が全くでなかって、総支配人がお詫びに家内を訪ねてきました。実は、家内の店もベジタリアンでは有名。都ホテルは主に外国人観光客を紹介してくれるそうです。福山夫人もわざわざ、同行されましたが、家内の前の店に、前原夫人とともにおいでいただいた事がわかって、盛り上ったようです。

旧都ホテルは祖父が明治時代にコックの修業をした場所です。当時、岡崎に住んでいたようで、スープやチョコレートなど随分ハイカラなくらしをしていたように父から聞いています。

すまいよろず相談

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9月28日、京都すまいづくりセンターへ、京都市が主催するすまいよろず相談の相談員に出向。京都府不動産コンサルティング協会が不動産を担当し相談員の派遣をしています。

母と娘さんが、賃貸借契約に基づきうまく大家と交渉できないもどかしさを相談に来られていました。

入居直後から、設備の不具合があり、修繕に応じない大家さんや業者に困っておられます。書面の例をつくって、アドバイスしました。

この方の場合、物件をよく下調べせずに契約した事が不注意でした。かなり古かったのです。前のマンションで嫌がらせを受け、あわてて引っ越したようです。一般に入居直後は、仲介した不動産業者への指導がいきとどくので、はやめに苦情を業者が加盟している上部団体に申し出でるのが早道です。上部団体には京都府宅地建物取引業協会全日本不動産協会京都府本部があります。不動産業者への規制は整っていて、指導がしやすいのですが、大家さんを直接規制する法律はないので交渉が難航しますし、消費者契約法による法律的な対応となると躊躇するでしょう。管理業者の団体、日本賃貸住宅管理協会京都府支部は苦情処理の体制がしっかりして安心です。

物件、取扱業者をよく吟味しましょう。業者のよしあしも住みごこちに影響しますから。

消費者契約法は分譲マンション1室の契約には適応されませんから、ご注意ください。分譲マンションの賃貸には仲介業者を介在させるほうが賃借人にはトラブルには有利でしょう。何故なら、仲介業者とは消費者契約法が適用されますから。

名神不動産

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30年以上もの間、家族ぐるみでお付き合いさせていただいている佐々木さんは名神不動産社長。9月27日、地方裁判所東隣に新事務所を竣工し披露。

ロイヤーコート(法廷)と大書し、赤いポストの模造があって、人目をひくし、茶目っ気も十分な面白い建物です。

新事務所移転を機に、社長を息子さんに譲られました。息子の佐々木雅明さんの友人が能楽師吉田篤史さん。いま、彼から謡を習っています。人間国宝の祖父、重要無形文化財の父(吉田潔司)の名門一家です。9月から、お稽古はこの新事務所2階でしています。

謡はおおきな声を出すので、健康法になりますし、音程を厳しくとるのに苦心しますから、歌がうまくなります。おすすめです。

謡曲は中世社会を反映し、丁度勉強中の「歎異抄の会」(毎月、彌光庵で開催)のテーマとかさなっていて、なかなか興味深いものがあります。

佐々木照会長は立命館の先輩。私の一番の理解者、支援者です。夫人の和子さんは十朱幸代に似た(失礼---)とてもきれいな方ですが、南坊流の家元の娘さんです。和子さんがお茶のお師匠さんを始めたとき、最初に入門したのが私でした。利休最晩年の「南坊録」を起源とし、高山右近などキリスト教の影響を深くのこす珍しい流派です。

佐々木さん一家とは多層構造のおつき合いです。これは他の人間関係にはめったにない珍しいことでしょう。

渡辺千万子さん

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9月24日、法然院前、哲学の道疎水べりで「アトリエ・ド・カフェ」を経営していた渡辺千万子さんと久しぶりにホテル日航プリンセス京都でお会いしました。もう、80歳を越えたそうです。20歳代、谷崎潤一郎の最後の愛人といわれ、文学史上でなぞめいた人でした。それは頭のよい活発な女性で大文豪を困惑させたのでした。谷崎は亡くなる前に、千万子さんからの手紙をすべて、返してきたと彼女は話していました。手紙もいわば作品、のちに公開されることもあることを想定しているのですね。谷崎からの手紙はもちろん、千万子さんの手元に大切に保存されていましたから、往復書簡集が刊行できたというわけです。

千万子さんは橋本関雪にちなむ疎水べりに花咲く「関雪桜」で有名な、店の前の桜を大切にしておられました。哲学の道がいまほど有名でないときからのことです。その橋本関雪の孫にあたります。母が高折家へ嫁ぎ、高折家と縁戚になる園城家がプリンセスホテル京都を創業。名門の一家でした。千万子さんの30歳代、40歳代は京都社交界の花、それはきれいな方でした。私は当時、経済力があり少しは支えられたのではと振り返っています。

引退後は娘さんのいる東京へ。娘さんは、たをりさんは京都造形大へ講師に来られた事が有り、たまたまそのマンションをお世話しました。担当は事務局の牧野さんでした。たをりさんは「祖父の思い出」を出版しておられます。平安時代から抜け出てきたような美しい人です。彼女は、野田秀樹と劇団夢の遊眠社を結成し行動をともにした東大時代の友人、高萩宏さんと結婚。あくまで華麗な一家です。

アールエスティ創業以来、一万組を超えるお客様がありますが、千万子さんはなかでも一番ユニークなお一人でしょう。

伝説の人の伝説の店「アトリエ・ドカフェ」は演奏会の定期的な開催、谷崎文学をテーマにした講演など知る人ぞ知る名所でした。武庫川女子大学教授たつみ都志さんが催した「刺青」は私も大好きな作品で、パフォーマンスもあって記憶に鮮明です。この店は今、大学時代の後輩、早川義輝が経営しているカフェテラッツァに。早川とは学生時代からの友人、終わりのない同志的関係が続くでしょう。かつて、桧森孝雄追憶集水平線の向こうにを刊行できたのは彼の力が大きいのでした。彼は今、BOKUDENという新雑誌を出版にこぎつけ、波紋を広げています。人物です。

造形大の牧野さんは大学時代の友人の紹介。「10.19」のメンバーですし、足立正生監督「幽閉者」上映に力をお貸しいただきました。彼を紹介した細川さんは当時、匠設計事務所を経営。そのスタッフだった松本健さんとはその後、第一次マンション問題研究会にお誘いし長いおつき合いとなっています。

 まったく思いもつかない不思議な縁だと言わざるをえません。

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